建設業界で異例の労災認定事例が発生しました。
関東地方の建設会社で役員が心疾患により亡くなり、労働基準監督署が労災認定を行ったものです。
通常、役員は労災の対象外とされますが、実質的な労働者として労災認定されました。
本記事では、役員の労災リスクと企業の使用者責任について、労災上乗せ保険での対応策まで詳しく解説します。
建設会社役員の労災認定という異例の判断
通常、役員は「使用者」として扱われ、労働関係法の補償対象とはなりません。
しかし今回は、実際の労働実態を詳しく調査した結果、実質的な労働者としての判断が下されました。
事故の概要
業種 | 建設会社 |
被災者 | 60代の役員 |
災害内容 | 心疾患による死亡 |
特筆すべき点 | 役員という立場でありながら、実質的に労働者として労災認定された異例のケース |
この認定は、役員の労働実態と労災との関係性について、重要な先例となっています。
事故から見える3つのリスク

【1】 役員の労災認定の複雑さ
建設業界では、名目上は役員でも現場での実務に深く関わるケースが多く見られます。
特に中小企業では、専務や常務が現場監督を兼任したり、長時間の現場作業に従事したりすることが珍しくありません。
しかし、労災保険法上では役員は原則として「使用者」とみなされ、労災の対象外となります。
今回の認定は、実際の労働実態が重視された結果ですが、全ての役員が同様の認定を受けられるとは限りません。
【2】心疾患・脳疾患のリスク増大
厚生労働省「令和4年度 脳・心臓疾患の労災補償状況」によると、建設業における脳・心臓疾患の労災認定件数は全業種中でも上位に位置しています。
長時間労働、現場での肉体的負担、工期に追われるストレスなど、建設業界特有の要因が心疾患発症のリスクを高めています。
特に管理職や役員クラスでは、現場作業に加えて経営責任も背負うため、心身への負担は深刻です。
脳・心臓疾患の労災認定基準
判断枠組み | 具体的な数値ライン |
---|---|
長期間の過重業務 | 発症前 2〜6か月平均で月80時間超の残業、または 直前1か月で100時間超の残業があると「強い関連性あり」 |
短期間の過重業務 | 1週間で実労働時間が120時間に迫るような突発的な連続勤務など |
異常な出来事 | 重機事故の対応・突発クレームなど、時間に表れない強いストレスイベント |
45〜80時間程度の残業でも、夜勤・休日なし勤務・高温作業など労働時間以外の負荷要因が重なると労災が認められることがあります。
3. 使用者責任追及のリスク
このようなケースで最も注目すべきは、労災認定を受けた役員の遺族が、会社に対して使用者責任を追及する可能性があることです。
労災認定により実質的な労働者性が確立された以上、会社の安全配慮義務違反を問われるリスクが高まります。
役員への使用者責任追及の可能性
認められる可能性が高い
今回の事例では、役員が実質的に労働者として労災認定されています。
この認定が下された以上、以下の理由で会社の使用者責任を問われる可能性と考えられます。
1. 労働者性の確立
労働基準監督署が労災認定を行ったということは
- 実質的な指揮命令関係の存在を認定
- 労働時間の拘束性を認定
- 労働の対価性(賃金性)を認定
これにより、形式的には役員でも、実質的には労働者として扱われることが確定します。
2. 安全配慮義務の発生
労働者性が認められれば、労働契約法第5条により、会社には労働者の安全を確保する義務が発生します。
心疾患の労災認定は、通常以下の要因が考慮されます。
- 長時間労働(発症前1ヶ月で100時間超、または2-6ヶ月で月80時間超)
- 不規則な勤務
- 精神的ストレス
- 身体的負荷
これらが認定されれば、会社の安全配慮義務違反が立証される可能性が高くなります。
使用者責任が生じた場合のリスク

企業が「従業員の安全配慮義務」を欠いたと裁判所に認定されると、億円単位の賠償が命じられる時代になりました。
事例 | 賠償金 |
---|---|
電通の過労自殺事件 | 約1億6,800万円で和解が成立 |
長崎県 警部補パワハラ自殺訴訟 | 約1億3,500万円の支払いを命じる |
こうした高額判決の背景に、精神障害の労災請求そのものが急増している現実があります。
厚生労働省の最新統計では、令和5年度の精神障害に関する労災請求は3,575件(前年比+892件)、業務上と認定され給付が決定した件数も883件に上りました。
安全配慮義務違反による費用
安全配慮義務違反が生じた場合の、直接的な「賠償金」の費用は氷山の一角です。
その周辺費用が 総コストの約 1.5〜2 倍 に膨らむ傾向があります。
費用の内訳 | 目安金額・概要 |
---|---|
賠償金 | 慰謝料・逸失利益など。 過労死・ハラスメント訴訟では 数千万円〜1 億円超 も珍しくない。 |
弁護士・裁判関連費用 | 着手金・報酬・鑑定料などで 数百万円〜1,000 万円程度 |
遅延利息・和解上乗せ分 | 裁判が長期化すると法定利息が膨らみ、数百万円規模 に達することも。 |
行政対応・職場改善費 | 労基署是正指導への対応、設備改修、再発防止研修などで 数百万円〜。 |
レピュテーション・事業中断損失 | PR・謝罪広告や代替人員確保、生産遅延による逸失利益など。ケース次第で数千万円規模。 |
使用者賠償責任保険とは
従業員が業務中の事故や長時間労働・ハラスメントなどで負傷・発病・死亡し、「会社の安全配慮義務違反」が問われて賠償責任を負ったときに、企業が支払う損害賠償金や弁護士費用などを補償する保険です。
政府労災(労災保険)でカバーしきれない“上積みリスク”を補償する仕組みで、業務災害補償保険(労災上乗せ保険)の特約として付帯されるのが一般的です。
使用者賠償責任保険で補償される費用
- 損害賠償金
慰謝料、休業損害、死亡・後遺障害の逸失利益など - 争訟費用
弁護士報酬・着手金、裁判所費用、鑑定料、和解交渉費用 - 求償・回収費用
事故原因の第三者へ求償するときの調査・手続費用 など
※重大な法令違反・故意、罰金や行政制裁金、風評回復費用は原則として補償対象外。
保険では補償できない費用
- 労基法違反の罰金・行政制裁金
- 謝罪広告・PRキャンペーンなどのレピュテーション費用
- 事業中断による逸失利益
- 原則として保険の対象外になります。
こうした保険では賄えないコストは内部留保や危機管理予算でセルフカバーするという二段構えが実務上必要となります。
安全配慮義務違反をおこさないための予防策

長時間労働やメンタル不調を放置したまま現場を回し続けると、社員だけでなく会社そのものが大きな代償を負います。
安全配慮義務違反が認められれば、労災給付とは別に数千万円〜億円規模の損害賠償や企業名公表、罰則が科されることも珍しくありません。
そこで重要になるのが、次の3つの柱を仕組みとして会社に根づかせることです。
【1】36協定の遵守
基本ライン | 特別条項付き協定を結んだ場合の上限 |
---|---|
月45時間・年360時間 | 年720時間以内 1か月100時間未満(休日労働含む) 2〜6か月平均80時間以内 月45時間超は年6か月まで |
ここを超える残業は 協定を結んでも違法です。
労働基準監督署の是正勧告や企業名公表、罰則(6か月以下の懲役または30万円以下の罰金)のリスクがあります。
【2】ストレスチェックと健康診断
- ストレスチェック制度
- 従業員50人以上の事業場は毎年1回の実施が義務。
- 医師・保健師などが設問票でメンタル負荷を測定し、結果は本人にのみ通知。
- 高ストレス者が申し出たら医師による面接指導を手配しなければならない。
- 定期健康診断(年1回)+特定業務健診
- 法定健診で血圧・心電図異常が出た場合は「就業上の措置」勧奨。
- 時間外・休日労働が月80時間を超えた労働者には、面接指導を実施する努力義務(100時間超は義務)。

【3】産業医・保健師の活用
区分 | 法的義務 | 具体的な役割 |
---|---|---|
産業医 | 従業員50人以上の事業場で選任必須 | 月1回以上の職場巡視、長時間労働者の面接指導、健康診断結果の判定・就業判定、衛生委員会での助言 |
保健師・看護師 | 義務ではないが配置推奨 | 健診後フォロー、メンタル相談、生活習慣改善指導、産業医面談の前さばき |
まとめ 役員の労災認定事例から学ぶ、安全配慮義務違反と労災上乗せ保険
本事例は、役員であっても実質的な労働者として労災認定される可能性があることを示しました。
建設業界のように 長時間労働・肉体的負荷・工期ストレス が重なる職場では、心疾患・脳疾患による過労死リスクが特に高く、役員といえど例外ではありません。
労災認定を受けた場合、企業は 安全配慮義務違反による億円規模の賠償責任 や評判失墜に直面するおそれがあります。
- 労働者性の判断基準
形式上は役員でも、指揮命令下で長時間労働・賃金性があれば労働者とみなされる可能性がある。 - 脳・心疾患の高リスク
建設業は長時間労働・肉体的負荷・工期ストレスが重なり、脳・心臓疾患の労災認定件数が全業種でも上位。 - 使用者責任と損害額の巨大化
労災が認められると、会社には安全配慮義務違反が問われ、億円規模の賠償+訴訟費用・レピュテーション損失が発生しかねない。
- 役員の特別加入や労災上乗せ保険+使用者賠償責任特約で“金銭面”をカバー
- 36協定遵守・健康診断強化・ストレスチェックなどで“発症そのもの”を防止
- 判例・行政指針を整理し、社内規程や危機管理マニュアルを整備
「起こさない体制」と「起きても倒れない保険・ルール」の両輪を回すことが、これからの経営には不可欠です。